2014年10月2日木曜日

6.何を祈るか? #1総体的な祈り

何を祈るかには、大きく分けて2種類あるといえます。


#1 総体的な祈り


「皆が幸せに、平和に暮らせますように」というような、

全体の幸せと平和を祈るもの。


#2 特定的な祈り


「○○が××になりますように」といった、人間や条件を特定するもの。




#1 総体的な祈り


「皆が幸せになれますように」と祈ったところで、

全ての人が同時に幸せになるなんて、とても無理な話では?

と思ってしまいますが、そう思いながらでも、毎日祈っているうちに、

この祈りの意味が見えてきます。

全体の調和や平和、幸せを願う姿勢が、自分の考え方に反映されてくるのです。

自分の行動基準が、利己的から調和的へとシフトしていくのです。

「この世界から、少しでも多くの気分の良さを搾取しよう」

という凡人の姿勢から、

「ありがたくも、自分は結構満たされたいるので、

他者の要求を理解して、満たしてあげるだけの余裕があります」

という、大きくて、心に沢山余裕のある人間にシフトしていくのです。


沢山のモノやお金を持っていたり、人間に囲まれていたりする事と、

その人の満足度や精神的余裕との間に、あまり関係が無い事は、

この世の中を見渡せば、お分かりの通りです。


どこか遠くの場所に出向かなくても、周りを見渡せば、

私の時間や、アテンション、優しさ、共感、尊敬を求めている人達は沢山います。

自分に余裕があれば、それを見つけ、与える事は簡単です。

自分からの距離や、無干渉を求めている人間にも、それを与えてあげられます。

与える立場にある時、その人は、状況よりも大きな人間です。


「人の為に、時間や労力、気力、お金を使うなんて、もったいない!」

と考えるのは、せこくて小さな人間です。

「こんなの大した事ない。これで人を満足させてあげられるなら、お安いもんだ」

と考えるのが、大きな人間です。


人間を小さくしているのは、主観や、視野の狭さと浅さです。

逆に、人間を大きくしているのは、客観性と、視野の広さと深さです。


小ささから抜け出す一番の方法は、

自分があたかも、大きな人間であるかのように振舞うことです。

無視して通り過ぎたい場面でも、一息ついて、余裕を見せて、

助けの手を差し出してみるのです。

結果、損をした気分になってしまっても、

これ位の時間や労力、お金のことで、アップダウンするような、

自分はそんな小さな人間ではない!と自分に言い聞かすのです。

大きな人間になる為には、これが唯一の方法です。

「あと10年歳を取れば、年収が今の2倍になれば、

大きな人間として振舞えるようになるだろう」といった考えは大間違いです。

人間は、賢く生きない限り、何歳になっても、年収が億や兆になっても、

泣いている赤ん坊のように、小さな人間のままです。


「皆が幸せに、平和に暮らせますように」という祈りは、

物事を見る目を、広く、深くしてくれます。

さらに、自分の行動を判断する時に、余裕や思いやりを与えてくれるのです。


インドのヴェーダにある祈り


सर्वे भवन्तु सुखिनः । सर्वे सन्तु निरामयाः ।
सर्वे भद्राणि पश्यन्तु । मा कश्चिद् दुःखभाग् भवेत् ॥
sarve bhavantu sukhinaḥ | sarve santu nirāmayāḥ |
sarve bhadrāṇi paśyantu | mā kaścid duḥkhabhāg bhavet ||

全ての人が(sarve)幸せな人に(sukhinaḥ)なりますように(bhavantu)。
全ての人が(sarve)無病息災(nirāmayāḥ)でありますように(santu)。
全ての人が(sarve)良い事を(bhadrāṇi)見ますように(paśyantu)。
誰しも(kaścid)悲しみを味わう人に(duḥkhabhāg)なりませんように(mā bhavet)。


そのうち、音声をYouTubeにUPしますね。


#2の特定的な祈りは、次回と言う事で。。。

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ॥
om̐ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ ||







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